変化に否定的になるのは

歳をとった証拠だとネズミが言っていた。

 

突然癌のステージ4と告げられて突然今年から入院している祖母の見舞いに行く。

と言っても一緒に住んでいたので仕事でさえなければ、暇さえあれば見舞いに行っているのだけは、本日は「会いたかったよぉ」と、私と母が病室に入るなり、泣き出してしまった。

まあ、そら心細いよな。

退院日前日までは抗癌剤治療とは言え5人に1人くらいの割合で居るらしいその1人だというくらいに何もなく、むしろ病人であることを忘れるくらいふてぶてしく、よく喋っていた。

それが退院日になって熱が出て、入院延長、更に、副作用なのか病院の飯が臭くて食えないっつー。

夕方に行ったらほぼ手付かずの病院食が置いてあって、ちょうど腹も減ってたし、食べた。

今日はたくさん食べれましたね!なんて言われるらしいので、バレない程度に。

 

うめーなー。

 

入院した事ないから分からないけど、病院食はまずいイメージがあったもんで、でもって自分はジュースを水で薄めたようなのが好きなくらい薄味好きで、できるなら全部食いたいくらいだった。

でもなんというかこう、確かに給食くさいっていうか、自分は全然平気だけど、これだろうなという匂いはなんとなくわかる。

滅菌済みっぽい味というか。

 

逸れに逸れて、祖母が泣いたとこ。

そらそうよねーよしよしと思いつつ反応に困っていると、察してか察さずか、「私は駄目な婆さんだ」と続けてベッドサイドの、保湿ティッシュで涙を拭う。

 

己が悪かろうが絶対に謝らず、テレビに悪口を言い、ぶん殴りたいとさえ思っていた祖母がこうなるもんかと、ぼんやりと現実から目を逸らすのであった。

注意どころかお願いをしても逆ギレしてはその後何も言わずしっかりなおしてくるような女である。

意地っ張りの豆腐メンタルはわかっていたけども、こうも。

 

私は世間的に、意地悪で嫉妬ばかりして、見目も悪ければおそらく結婚もしないでふらふらしている恥ずかしい人間で間違いない。

たまに生きたい人達に寿命あげてとっとと居なくなった方が世のためではと本当に思う。

それは今現在出来ないし考えすぎではというのもわかる。

でも本当に、10年20年くらいなら、あげたい。

消化試合感。

 

罵られたい。

クズだ不適合者だ死ねと許されずに居たい。

 

一緒に行った母は金食い虫で家事もろくに出来ない、おそらく今はやりのなんとかっていう病気ではってくらいの忘れっぽさな上、嫌味しか吐かないこの、私が一緒だから心強いよと言っている。

かくして、生きねば。と思い、帰りに調理師免許のテキスト等を買ってみるげんきんな私である。

人が死ぬことを考えてしまうと、悲しい思いをするくらいなら、許されるなら、今すぐ自分が死ねばいいのかしらなどと、時間の流れが心底嫌になった。

 

ちなみに、病院食がくさいらしいだけで、コンビニで買ってきたおにぎりやお菓子は食っていた。

おいしいよね、ラッキーマヨネーズ。